「住まいと耐震工法研究会」
防災愛国論
IT生
我がこころの師、寺田寅彦は、日本の自然を「厳父のごとき」側面と、「慈母のような」側面と二面性があるとし、この両側面をわきまえ、「科学的文明国民の愛国心の発露には合理的様式があってしかるべき」と、災害が起こる前の備えの重要性を説いた。この精神にのっとり、災害列島に生きるわれわれの姿勢を問う「防災愛国論」を展開していきたい。
CONTENTS
(第1回)ゼロの意味について
(第2回)近頃の風潮と防災
(第3回)すべては人間の行動に帰結する
(第4回)戦後70年に思う~日本人は戦争好きか?
(第5回)戦後70年、謝罪すべきか?
(第6回)漂えど、沈まず
(第7回)尊きものに殉じる覚悟
(第8回)糸の切れた凧
(第9回)りんごの木を植えよう!明日世界が滅びるとも
(第10回)プリンシプルのない日本
(第11回)三賢人に今こそ学ぶ
(第12回)日本は墓標列島か?
(第13回)断捨離
(第14回)ああ無情…
(第15回)「未病」=「防災」
(第16回)忘れたころにやって来るもの…
(第17回)今年は正念場!?
(第18回)DNA
(第19回)車寅次郎氏に学ぶ
(第20回)寅さん考・その弐
(第21回)国土とは…
(第22回)考えることを、考える
(第23回)ああ、ソーリ!
(第24回)常ニ備ヘヨ…
(第25回)夏の花火か?
(第26回)災害糞尿譚(学)~トイレもままならぬご時世
(第27回)〝国難〟だった? 衆院選挙
(第28回)日本人よ、脱皮せよ!?
(第29回)阪神大震災から23年、東日本大震災から7 年…
(第30回)絶滅危惧種「強靱なヒューマニズム」とは?
(第31回)国と国土はちがうのか?
(第32回)知恵は使うもの
(第33回)元号改変にみる日本人の災害観
(第34回)予知、予見、それとも…
(第35回)君子、あやうきに…
(第36回)魔弾の射手になりたい?
(第37回)桃太郎伝説はほんもの!
(第38回)フォッサマグナ!
(第39回)大洲の殿様はご健在か?
(第40回)災害大国=技術立国
(第41回)一年の言葉「災」か。
(第42回)地震が連鎖するもの?
(第43回)防災教育としての神話
(第44回)天皇の意思=歴史の意思
(第45回)グルメと災害
(第46回)地震は連鎖する?
(第47回)地震をみる視点
(第48回)リスクマネジメントが問われている
(第49回)復興するとはどういうことか
(第50回)法律、規則は破るもの?
(第51回)災害情報(役所)無用論
(第52回)日本の堤防防災は「203高地」か?
(第53回)新時代の防災は…。
(第54回)阪神大震災から25年、「継承」は「警鐘」となっているか?
(第55回)閑話休題~鹿島大明神!
(第56回)逃げましょうキャンペーン!!??
(第57回)命より権利?
(第58回)元の木阿弥
(第59回)出雲神話の「八岐大蛇」と災害
(第60回)絵にかいたような「間抜け」
(第61回)いなばの白うさぎ
(第62回)平和ボケ…。
(第63回)小人閑居して不義をなす
(第64回)役人仕事おそるべし
(第65回)2021年度版「自助、共助、公助」
(第66回)2030年問題とは?
(第67回)AIで避難ができるのか?
(第68回)自然は偉大だ…?
(第69回)老化社会と災害
(第70回)防災教育で避難率は高まるか?
(第71回)個別化防災
(第72回)避難情報はなぜこうも役立たずか
(第73回)日本の都市計画の始祖は渡来人?
(第74回)MINAMATA、今も
(第75回)防災(と)アレルギー
(第76回)建築の原点は飛鳥時代?
(第77回)学ばない人たち
(第78回)エライコッチャ!
(第79回)いつの時代も社会を守るのは若者
(第80回)シチズンシップと防災
(第81回)シチズンシップと自律性
(第82回)「役割果たしていない」国土交通省
(第83回)緊急事態条項をめぐる話
(第84回)平和ボケもここまで極まると…
(第85回)危機管理の要諦は「暗黙知」
(第86回)憲法と防災
(第87回)知識とは何か?
(第88回)「防災」のなせるわざ
(第89回)八岐大蛇か、雪女か
(第90回)帰宅困難者対策は防災課題か
(第91回)ただの地震じゃあない?
(第92回)分かりにくい地震の大きさ
(第93回)日本列島縦断狂騒曲
(第94回)高知のいごっそう
(第95回)断捨離も防災
(第96回)犯罪者はヒーローか?
(第97回)生きるためにやっておくことって?
(第98回)災害時に流言飛語はつきもの
(第99回)世紀の大発見!?
(第100回)ゴジラと震災